生産性のない人間かぁ…
ちょっと前に杉田某議員のLGBTに対するコメントがクローズアップされましたが、その人結局党を追われる訳でもなく、もちろん考えを改める訳でもなく、一体今何をしていらっしゃるのでしょうかね。
「生産性のない人間」とは考えさせられます。
「生産性」ってつまり「出産」のこと…?
私には娘がおります。
末っ子は特に幼い頃から内気ながらも頑張り屋さん。小柄で可愛らしくて…心優しく気が利いて…なんて言いだしたらキリがない程の素晴らしい娘なんですけどね。
そんな彼女の身長が気になって病院の先生に相談したのは中学生の頃。
いや、身長が気になった…というのはちょっと違って、その他諸々の身体つきについてと言った方が良いのかもです。
そして、ズバリ言われたことは「ターナー症候群」とのことでした。
専門の先生は丁寧に教えてくれました。あまり難しくない言葉を使って彼女に話した後、私だけを診察室に残してその「ターナー症候群」というものを教えてくれました。
遺伝子のお話をつらつらと仰ったあと、要するにと、
「タマゴ(卵子)が出来ないんですよ。つまりね、妊娠できないの」
確かそんな言い方だったような。
その時は酷くショックを受けてしまい涙を抑えるのに必死でした。
でも、赤ちゃんを産まない人はいくらでもいるし、赤ちゃんを産んだからとて幸せになるとは限らない。この身体だからといって娘が不幸だと考えるのはおかしい。
自分を落ち着かせるために何がショックだったのかを考えていました。
娘が「不幸を背負ってる」なんて思いたくない。
「遺伝子がね、他の人と少し違うんだよ。だから第二次性徴期が訪れないの、これから女の人の身体を作るのにお薬の力を借りていこうね」なんて先生に言われ、彼女自身「ふーん」と言った顔をしていたかなぁ(うろ覚え)
家に帰りながら娘が「(先生から)算数や数学苦手でしょ?て言われてびっくりしたー。私苦手なんて思ったことなかったのにー」などと話してて、いやいや数学は苦手だからテストの点数がぁぁ…ってつっこみたくなるほど。
彼女はそのままでありのままで充分過ぎるほど魅力的。
生まれ持った身体によって、不自由な生活を強いられる訳でもないのに、なぜ不憫に思えるのだろうか。
彼女の身体のことを考えると涙が出てくるのはなんでだろう。
頭の悪い母親でごめんね。
不憫に思えるのは「選択肢」がないことなんだよなぁ。
彼女が赤ちゃんが欲しいと思っても彼女に赤ちゃんは出来ない。子供が好きな彼女が自分の子供が持てないなんて。
その事実が不幸だと思えた。
そう、生産性のない人間なんですよね。
私の薄っぺらな人生において、娘がいてくれたおかげでものすごっっっく豊かさが増したと思うんですけど、私や夫、彼女の姉やお友達なんかにもそんな存在なんじゃないかなぁと思うんですよね。
彼女からすると「特になにもしていない」と言いたいだろうけど、私にとっては、一緒に暮らしてすぐ側で成長を見つめられたことが一番の宝物であって、それがあったから親子になれたと思うんですよね。
「誰かのために」とか「社会のために」とかそういうのではなくて、そこにいるだけで大切な存在。だって生まれてきたんだもの。僅かな生存率の中、生まれてきてくれたんだもの。
将来、新しい家族を作って子供を育てたいと思えば、その時の最善の方法を考えればいいんじゃないかなぁ。その時は全力でサポートするつもりですよ!
自分で産むことが全てではないと思うから。
誰だって幸せに暮らす権利があるし、人間を否定されることはないと思うんですよねー。
子供が授からない人間でも責任持って子育てしたいと願ってる人もいる。
それをサポートすることが社会なんじゃないのかなぁ。
だって、愛してくれる親が子供には必要でしょう、それは血が繋がる繋がらないの問題ではなくて。
人間にいろんなタイプがあるように家族にもいろんな家族があって当然。父親と母親がいても不幸な家庭もあるだろうし、実際私には父親がいなかったけれどもとても幸せな幼少期を過ごしましたよ。
どうか、人のことを「生産性」とかでジャッジしないで、みんなが幸せに暮らしていけるような社会を目指そうよ。
そんなこと考える今日この頃。